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Cardinals ✕ 田中宗一郎 インタビュー

2026.09.16

Cardinals ✕ 田中宗一郎 インタビュー

Cardinals ✕ 田中宗一郎 インタビュー

Cardinals

アイルランド・コーク出身のインディー・ロック・バンド。ユアン・マニング(ヴォーカル&ギター)とフィン・マニング(アコーディオン)のマニング兄弟、その従兄弟のダラー(ドラムス)、元同級生のオスカー・グディノヴィック(ギター)とアーロン・ハーレー(ベース)という、家族愛と友情によって固く結束した5人で構成されている。

フィンが奏でるアコーディオンは祖父から受け継いだ技であり、バンドのサウンドに民族音楽の温もりと唯一無二の個性をもたらす存在として、彼らの音楽的アイデンティティの核を成す。コロナ禍のロックダウン中に本格的な作曲活動を開始し、2022年に初シングル「Amsterdam/The Brow」を発表。2023年リリースの「Roseland」で英〈So Young Records〉との契約を勝ち取り、フォンテインズD.C.のサポート・アクトも務めた。同バンドのフロントマン=グリアン・チャッテンが「自分のお気に入りのアイルランドのバンド」と公言したことで一躍その名がシーンに広まり、早くもアイルランドのインディー・ロック・シーンの最前線に名を連ねる存在となった。

2026年2月、満を持してリリースしたデビュー・アルバム『Masquerade』では、アイルランドの民謡の伝統と現代のインディー・ロックを、アコーディオンを軸にシネマティックかつ大胆に融合。「The Burning of Cork」「Anhedonia」「I Like You」など全9曲におよぶ収録曲はいずれも文学的かつ物語性に富んでおり、コークという街の美しさとその深部に潜む葛藤を詩的に描き出す。NMEは「インディー界の次なる偉大なストーリーテラー」と絶賛し、2026年を代表するデビュー・アルバムとして各メディアで軒並み高い評価を受けている。
https://www.cardinals.band

田中宗一郎

1963年、大阪市生まれ。編集者、DJ、音楽評論家。広告代理店勤務、音楽誌編集を経て、1996年から雑誌「スヌーザー」を創刊準備、15年間編集長を務める。2020年1月現在は、合同会社ザ・サイン・ファクトリーのクリエイティヴ・ディレクターとして、記事コンテンツ、音声コンテンツをいくつものメディアで制作。

interview by 田中宗一郎(snoozer/the sign podcast)
interpretation by 萩原麻理

昨年2025年11月に英国『ガーディアン』誌は「アイルランドはいかにして世界最高のオルタナティブ・ミュージック・シーンを築き上げたのか?」と題された記事を掲載した。曰く「今日の(アイルランドの)アーティストに共通するのは、反逆の精神、機知に富んだユーモア、そして傷つきやすい歌詞であり、連帯と疎外というテーマが繰り返し登場する。これは、北アイルランド紛争とケルトの虎(アイルランドの不動産ブーム、2008年の暴落、そしてその後の不況)の遺産からまだ抜け出せていない若者たちによって作られている」。
おそらくあなたもニーキャップのことは知っているだろう。彼ら以外にもいくつかの作家たちの名前を連ねてもいい。CMAT、ザ・マーダー・キャピタル、スプリンツ、ニューダッド、グリアーズ、トラヴィ、エフェ、ジョージ・ヒューストン――。その文化的/経済的インパクトにおいて、今まさにアイランドの音楽シーンは未曾有の活況を呈しているのだ。
その象徴は自らのバンド名の一部に「ダブリン・シティ」という文字を誇らしげに掲げたフォンテインズD.C.ということになるだろう。2019年の1stアルバム『Dogrel』リリース当初は、当時まさに活況を呈していた英国サウスロンドン・シーンとポストパンク的な感性をどこか共有しながらも、やがて早い時期から音楽的にもリリックの世界観/モチーフ/ニュアンスにおいてもアイルランドに根差した自らのアイデンティティを確立。2024年の傑作4thアルバム『ロマンス』とそれに伴うツアー、特に昨年2025年7月の英国フィンズベリー・パーク公演を皮切りに欧州5都市、各地数万人規模の野外会場を舞台にしたツアーを経て、世界的に見ても今もっとも勢いと影響力のあるバンドという位置にまで登り詰めた。
おそらくその総仕上げにあたるのが10月第3週に予定されている新作『Dopamine Chamber』のリリース。そしてシン・リジー、U2以来の快挙とも言える2027年6月のスレーン城での屋外公演だろう。規模的には8万人。にもかかわらず、早々と追加公演が発表された。つまり、のべ16万人。その後には、スタジアムとやはり野外のフィールドを舞台にした英国5都市6公演も控えている。彼らに対するこうした絶大な支持と期待が現時点の日本語文化圏においてどの程度共有されているのかはわからないが、誰もがフォンテインズD.C.の名前を呟かずにはいられない時代がやってくるのはもはや時間の問題に違いない。
時代は螺旋状に進む。抑圧/支配と抵抗との絶え間ぬ、せめぎ合いこそが時代を先へと進めていく。では、我々が暮らす2026年という時代はどんな局面に差し掛かっているのか。今年1月に開催されたダボス会議でカナダ首相カーニーがその演説で語ったように、それがたとえかりそめの絵空事だったとしても1945年の第二次大戦終焉後に生まれたはずの国際協調の時代はたった80年で終わりを告げ、また再び力による支配の時代が訪れたと言えるかもしれない。国際刑事裁判所 (ICC)がイスラエル首相ネタニヤフに逮捕状を出そうとも、むしろアメリカ合衆国大統領トランプによるICCに対する経済制裁や組織解体要求がなされる現状は悲しいかな、件のカーニーの認識に説得力を与えてしまっている。
こうした現状と、12世紀に始まる英国の植民地としての断続的な支配と抵抗の歴史を持ち、時には支配側からの文化的制裁として侮蔑的な民族的ステレオタイプを押し付けられさえしてきた、かの土地アイルランドの文化的な活況は決して不可分ではないだろう。そんな時代のうねりの渦中において、英国『ガーディアン』言うところの「北アイルランド紛争とケルトの虎の遺産からまだ抜け出せていない若者たち」という歴史的背景と世代観めいた何かを共有しながらも、数多のアイルランド出身作家の中でも特筆すべき個性と魅力、文化的なポテンシャルを有しているのが本校の主人公=コークで結成されたクインテット、カーディナルズだ。
昨年2026年2月にリリースされた彼らの1stアルバム『マスカレード』を至極乱暴に言うなら、ポストパンクとアイリッシュ・フォークそれぞれの影響を融合させたレナード・コーエン。ポストパンク的な荒々しさとフォーク的な生々しさ、アコーディオンの響きと、時には3を刻むダンスフィールを持ったリズムを併せ持つサウンド。痛みや後悔という負の感情の機微を決して隠さないフラジャイルな言葉と声。そこに1曲の間に静と動を行き来するエピックな展開が加わることによって浮かび上がる曖昧ながら起伏に富んだ物語性と、その向こう側に透けて見える歴史の連なりという重み。ニルヴァーナ、エリオット・スミスを筆頭に以下の対話において挙がったいくつかの音楽家たちの名前は、カーディナルズの音楽の輪郭をそれぞれの観客が固める上での何かしらのヒントになるかもしれない。彼らは与えられたアイデンティティと自ら選んだアイデンティティを融合させることで、この独自のサウンドと言葉に辿り着いた。
明治維新と第二次大戦という二度にわたる社会的動乱を境に、民族的な伝統と切り離され、1950年からの朝鮮戦争以降の経済的繁栄と引き換えに、いまだアメリカ合衆国からの政治的/経済的/文化的侵略という基盤から抜け出さずにいる日本国籍を持つ我々からすれば、彼らのスタイルとアティチュードは理想的にさえ思える。音楽は歴史だ――この言葉は1963年のアミリ・バラカ/リロイ・ジョーンズの著作『ブルース・ピープル:白いアメリカ、黒い音楽』冒頭の言葉だが、カーディナルズを筆頭にアイルランドの音楽作家たちが奏でる「今の音楽」にアクセスする時、この言葉の重みと祝福を感じずにはいられない。時代は変わる。何も恐れることはない。

ニルヴァーナの音楽が持つ繊細さや感情的な脆さに対して目が開かれたんだ。彼らはそれまで考えてたロック・ミュージックとは違ったんだ


●インタビュー自体は好きですか?

ユアン・マニング(以下、ユアン)「まあ、時々は。特に1月、2月頃にインタビューたくさんやって、1日に2、3もやったんだよ。あれはちょっと多すぎた。でも時々やるぶんにはオッケー」


●楽しい話ができればと思っています。

フィン・マニング(以下、フィン)「もちろん」


●原宿のビッグ・ラブに行ったんでしょう?

オスカー・グディノヴィック(以下、オスカー)「うん」

フィン「すごくいいレコード店だった」


●日本で一番ブリリアントな店だからね。

フィン「そう! すごくよかった」

ユアン「仲さんも親切だったし」

フィン「全員レコード買ったんだ。セレクションがいいよね。すごくニッチなレコードが揃ってる」


●仲くんは90年代初頭からずっとレコード屋さんをやってて、あとはレーベルをやったり、DJをやったり。僕は90年代初頭から雑誌の編集者と音楽評論家をやって、DJをやってた。だから彼がやっていることと近づいたり、離れたりという感じなんだけど、彼は僕が音楽業界の中で一番リスペクトしている人の一人なんです。

ユアン「クールだね」


●僕がやっていたのは『SNOOZER』っていう雑誌なんですけど、それが終わったのが2011年。その後、僕の本の読者が、何を指針にしていいかわからなくなって、その人たちがみんなビッグ・ラブにレコードを買いにいったみたいな流れがある。ちょうどその頃、2011年の暮れに出たのが、アイスエイジの1stなんだよね。

ユアン「そうなんだ。僕らがビッグ・ラブに行った時も『ニュー・ブリゲイド』売ってたよ。いまでも。うん、グレイトなレコードだよね」


●君たちも僕が雑誌をやめた頃から、音楽にハマっていった世代なのかなと思ったんだけど。

ユアン「もうちょっとあとかな。10代の初め、12、13歳くらいだから……2017年とか?」

フィン「だね」

ユアン「とにかく僕は10代初めの頃だったし、僕らのほとんどがそうだと思う。それまでは親がかけてた音楽とか。オスカーの両親はミュージシャンなんだ。でも10代初めに、自分のテイストを持ちはじめて、自分の音楽を探しはじめたと思う」


●その頃、自分たちの音楽的アイデンティティ、音楽的なテイストを定義した作品とか、アーティストをいくつか教えてもらってもいいですか。

フィン「ユアンと僕は、ごく若い頃はアメリカのヒップホップをいろいろ聴いてたんだ。90年代のナズとかウータン・クラン、2パック、ビギー。たぶん僕らが最初に興味を持った音楽がそのあたり。で、もう少し年上になると僕自身はクラシック・ロックを聴くようになって、それがニルヴァーナにつながった。ニルヴァーナで僕はオルタナティヴやパンクに興味を持つようになったんだ。そう、僕にとってはニルヴァーナが入り口だった。オルタナティヴ・ミュージックの世界への。それからいろんなバンドを聴くようになって。音楽的な発見においては、僕の場合ニルヴァーナを見つけたことが大きなポイントだったと思う」

オスカー「ニルヴァーナは確実に、僕の最初のオブセッションだった。あの時までニルヴァーナほど聴き込んだアーティストはいなかったと思う。ほんとに長い間、ぶっつづけで聴いてた」

フィン「音楽以外にも知ることがたくさんあったんだよ。カート・コバーンについて、彼の作曲プロセスについて、バンドがどうやってレコードを作ってたのか。スティーヴ・アルビニとか。音楽のほかにもカート・コバーンという人物について知るのは、ティーンエイジャーにとってはぶっとぶような体験だった。ニルヴァーナとカート・コバーンについては、同じような体験をしたティーンエイジャーがこれまで大勢いたと思う」


●ニルヴァーナは当時のオルタナティヴの頂点であると同時に、ちょっと異端でもあったと思う。当時のシーンにいた大半のバンドはすごくアグレッシヴだった。ただ、そのなかでニルヴァーナは何よりもフラジャイルで繊細な部分も兼ね備えていた。彼らのそういったところは自分たちに何か影響を与えたと思いますか。

ユアン「カート・コバーンの曲がすごいのは、両方の面があるからだと思う。彼はビートルズ、ビートルズのメロディが好きだった。それはすごく美しいもので。でも彼はそれを、ピクシーズみたいなものすごくパンクなものと共存させることができたんだ。彼らの音楽がこれほど長く愛されている理由の一つがそれだと思う。いろんなものをカバーしてるんだよ。両方をやろうと目指す人は大勢いるけど、誰もができるわけじゃない」

フィン「ニルヴァーナ以前、ロックの定番と言えば、酒とかパーティとか女の子について歌ってるって感じだったと思う。でも僕にとっては、彼の音楽によって繊細さや感情的な脆さに対して目が開かれたというか。それがすごく興味深かったし、それまで自分が考えてたロック・ミュージックじゃなかったんだよね」


●その文脈で、僕が30年前に初めてマイケル・スタイプにインタビューした時にした質問をしてもいいですか。彼に「作家、アーティストにとってもっとも重要なものはなんですか」と訊いたんですけど。彼はなんと答えたと思いますか? そして、あなたならなんと答えますか?

フィン「アーティストにとってもっとも重要なもの、というのはどういう意味で?」


●たとえば曲を作る時に、それを作る場所にその人が何を抱えているか。

ユアン「目指すべきもので一番大きいものの一つに、次の世代のアーティストをインスパイアする、というのがあると思う。その考え方は僕らにとって重要で。自分たちはそこから出てきた感覚もある。未来はそこから生まれるし、それが自分たちの音楽である可能性もある。もしそうなったら、やったかいがあったってことだよね。外からの影響としてはそれがある。で、曲を作るもう一つの動機には内面的なものがある。よく言われるけど、曲を書くのってすごく個人的で、セラピー的なんだ。利己的とも言える。自分のためにやってるんだから。自分の中から何かを取り出して、形あるものにするのは、すごく自分のためになる。誰でも一度はやってみるべきだと思うくらい。僕にとって重要なのはその二つだし、僕らにとってもそうだと思う」

フィン「うん。セラピーになるし、カタルシスになるしね。特に曲を作っている時、あるサウンドが形になると、すごく特別なフィーリングが生まれる。僕らも何度か経験したけど、なんとも言えないフィーリングを感じるんだ。それは感情、満たされるようなエモーションで、本当に言葉にできない。僕ら全員が一つの場所にいて、曲を作った時にしか感じたことのないフィーリング。あ、でも初めて好きな曲を聴いた時にも感じるかもしれない。自分が本当にコネクトできる曲を見つけた時には、うまく言葉にできない感覚があるから。でもそれって、アーティストがみんな追ってるものだと思う。そのフィーリングにたどりつくこと。それもある意味、利己的ではある。ハイになろうとしてるようなものだから。でも同時に、セラピー的でもあるんだ。ただ自分がいい気持ちになれるものを追ってるんだよ」

オスカー「あと……新しいものを見つけようとする気持ち、発見への渇望も重要じゃないかな。聴くもの、読むものに対してもそうだし、つねに新しいものを作ろうとすることは大事だと思う。その人にしかないユニークなものを持ってる新しいアーティストは、そこから出てくる。発見する必要がなければ、みんな同じことをすればいいだけだから。求める気持ちは絶対に重要だと僕は思う」

ユアン「で、マイケル・スタイプはなんて答えたの?」


●ヴァルネラビリティ(弱さをさらけだすこと)。

ユアン「ああ、それは大きいな」


●その時俺、初めてその言葉知ったんだけど(笑)。ただその答えを聞いた時から、ソングライターはディフェンシヴになるんじゃなくて、傷つくこと、自分の感情を押し殺さないこと、自分をオープンにして、ちょっとリスクのある状態に保つことが大事なのかなと思うようになった。

フィン「その通りだね」

ユアン「それって努力しなきゃいけないところでもある。簡単にできることじゃない。つねに敏感であること、自分をさらけだすことを自分に言い聞かせてないといけないからね。うん、でも彼の言う通りだ」


“ザ・バーニング・オブ・コーク”は、僕らの街で100年前に起きたこと。それは今ガザや世界中のあらゆる場所で起きていることでもある。何世代にもわたっていまだ怒りがあり、その怒りは共有されてるんだ


●最初のEPに比べると、『マスカレード』というアルバムはビートが多彩になった。あとサウンド的にも、感情的にも、ダイナミクスや緩急が生まれている。それはある意味いろんなものを受け入れた結果なのか、どういったところに起因するのか、自分たちではどう思っていますか。

ユアン「意識的に決めたことだと思う。EPでは、若い頃からたくさん曲を書いていて……いくつかの曲は僕らが17、18の頃に書いたんだ。お互いを知って、いろんなことに慣れようとしていた頃だったから、アルバムほど統一感もなくて、いろんな曲を集めたようなもので。あと、自分に正直なものを作ることが自分たちにできる一番のことなんだ、って気づいたことが大きいんじゃないかな。EPの曲はちょっとそこから逃げてしまってるものがあると思う。でもアルバムの曲は逃げようとしてない」

フィン「僕らが成長した印でもあると思う。アルバムでは年も取って、曲がその成熟を反映してるんだ。楽器の演奏でも大きく成長したし。君の言う通り、ビートも変化した。アルバムではドラムが中心的な役割を果たしていて、アルバムで録音されたものをEPと比べると、ダラー(・マニング)のドラム・スタイルもはっきり変化してる。ソングライティングにおいても、僕ら全員の個々の演奏においても、確実に成長してるんだ」

オスカー「物理的限界もあるんじゃないかな。つまり、僕ら全員、楽器においても何においても常に向上しようと努力してる。だからギターや歌をレコーディングすると、3年間練習した成果がかなりはっきり表れてるんだ。これからもそう。続けていくほどよくなっていくのは、自然なことだと思う」


●オスカーのギターにしても、1曲の中ですごくラウドで壮大な瞬間もあれば、静かで繊細な瞬間もある。それは全員で曲を固めていく時に、そういった変化、緩急が必要だと思ったのか、どういうところからそうなったんでしょうか。

ユアン「一つ僕らが避けたかったのは、最初から最後までずっと同じようなアルバムを作ることだった。僕らは日々いろんな感情を感じていて、それが表れるべきだし、曲を書くと自然と表れる。ただ……同じことを繰り返したくないんだ。自分たちでも面白くないし」

オスカー「全体的にコントラストが強いと、すべてがドラマティックになるんだろうな。だから、このアルバムはドラマティックだと思う」

ユアン「コンセプトとしてコントラストが強いものにしようとしたしね。それが頭にあった。トラックリストやアートワークに至るまで。うん、それもこのアルバムの一部だと思う」


●最終的に表現された感情としては、怒りもあれば、打ちひしがれてもいる。そういったエモーションの変化やコントラストは、アートワークとかも含めて、最初からやろうとしていたことでもある?

ユアン「うん。僕らはただ、自分たちが経験したあらゆる感情をここでやりたかった。それが自分たちの興味をつなぐところでもあったし」

オスカー「このアートワークを見ても、柔らかいブルーもあれば、すごく対照的なシャープな赤もあるよね。上と下は暗い色で。見るだけで、内側でぐるぐる旋風が吹くような気持ちになる。最初見た時からすごくインスパイアされたんだ。僕らみんな、この素晴らしい作品を自分たちのアルバムのアートワークにしたいと思った」

フィン「このアートワークはいろんな意味でアルバムを反映してる。オスカーが言ったように、いろんな色彩がある。その色彩の幅を、いろんな感情の幅と見ることもできる。君が言ったように、このアルバムには本当にいろんなエモーションがあって、ある意味人としての体験をとらえようとしているし」


●じゃあ、例えば、怒っている、打ちひしがれている、それは何がきっかけでそういうネガティヴなフィーリングをとらえる曲を書こうとしたのか、具体的な理由を教えてもらってもいいですか? どんな経験なのか、あるいはどんな作品に触発されたのか。というのも、今の時代ってみんな、思わず怒りだすか、ひたすら落ち込むか、どっちかじゃない?

ユアン「曲によっては……たとえば最後から2番目の曲、“ザ・バーニング・オブ・コーク”は、実際の歴史的な出来事についてなんだ。僕らの街で100年前に起きたこと。それには激しい怒りを覚える」

オスカー「今の地政学的な/ジオポリティカルな状況でもそう感じる。ネットでニュースを見た時とか。自分の中に怒りが湧くのを感じるんだ」

フィン「僕らはガザの状況に激怒してた。特にアルバムの曲を書いてた時。スタジオでレコーディングしてた時もだけど。怒り、強い怒りを引き起こした理由として一つ挙げられるものと言えば、それだね」

オスカー「他にもネガティブな感情がいろいろあったけど。悲しみとか」

ユアン「特に“ザ・バーニング・オブ・コーク”はそう。1920年12月にコークが襲撃されたことについてなんだけど、それは今ガザや世界中のあらゆる場所で起きていることでもある。つまり、何世代にもわたって蓄積してきた大きな怒りなんだ」

オスカー「それが大きなきっかけになってることは間違いないね」

ユアン「感情の強さは、このアルバムにおける一つのアイデアから生まれてると思う。そう、もし自分のシニシズム、冷笑的なところをほんの5分でもなくしたら、本当に自分が感じていることがわかるんじゃないか、と思ったんだ。ずっとシニカルでいると、感情を曖昧にすることができるから。そうすると人は何があっても、極端に怒ることもなければ、ものすごくハッピーになることもない。だからこのアルバムでは『そういったシニシズムを取っ払おう、そうしたらその下にものすごい怒りとかユーフォリアとか、もっと強い感情が見つかるんじゃないか』――それがアイデアとしてあったんだ」

フィン「それに5人の人間がいるバンドとして、僕らはそれぞれがそれぞれの生活においていろんな感情の波を体験してる。アーティストとして、それを表現することも重要だからね」

オスカー「僕がものすごく打ちのめされた映画は、『西部戦線異状なし』(2022)だな。絶望感があった」

フィン「第一次世界大戦の話だね」


●例えば、ニーキャップのようなバンドは、同じようなきっかけからの表現だと思うけれど、彼らの場合あなたたちと違ってより政治的な主張をオープンにしているし、と同時に、そこにユーモアを持ち込んでいる。非常にアグレッシヴで政治的な部分とユーモアの両方があるよね。あなたたちとしては、彼らとの違いはどういうふうに意識していますか?

ユアン「もちろん、違う表現になってるけど、僕がこれまで話してきたアイルランドのアーティストの多くは、政治に対して……うん、今アイルランドが注目されてるのは、明らかにその部分があるからだとも思う。つまり、比較的最近に植民地化された国として、アイルランドでアートをやってる若い人たちにとって精神的に、心の中でそれがまだ生々しいんだ。いまだにアイルランドはガザみたいに一部占領されてるんだから。まあ一応、ガザは占領じゃないのかもしれないけど、同じだよね? つまりいまだに起きていることであり、いまだ怒りがあり、その怒りは共有されている。僕らの感じ方は、もしかするとダブリンやゴールウェイに住んでいる人たちの感じ方とは少し違うかもしれない。でもある種の思いは集合的なものとして、アイルランド人の意識の中にあるんだ。特に若い世代の意識に」

フィン「それって僕らにしかない考え方、ユニークな感じ方じゃないんだ。ニーキャップ特有のものでもない。アイルランドの通りを歩いていて、出会う人と話をしたら、たぶん99パーセントの人が今の世界の状況について同意すると思う。だからアイルランドでは集合的な感じ方があり、いくつかの考えが共有されていて、それがアイルランドのいろんなバンドやアーティストによって表現されてる。それに対してはみんな同じ意見なんだよ。でも表現の仕方はすごく違う。それこそが芸術性なんだよね。その感情をどう表現するか、という」

オスカー「それは個々のものなんだ」

ユアン「でもいろんな人たちの解釈を見るのがクールだよね。それがアートだし、一気に大量に出てきてるのがすごいと思う」


バラッドとか、アイルランド音楽からすると6/8拍子ってリアルなんだ。踊れるビートなんだよ。酔っ払ったようなところもある。なんかふらふらしながら進むんだよね。で、すっ転ぶ


●あなたたちのソングライティングのスタイルというのは、意味は曖昧なまま、ただとてもニュアンスのバリエーションに富んでいて、感情的にダイレクトに迫ってくる曲を作っている。それも今話してくれた、あなたたちの基盤みたいなものと関わっているんでしょうか。

ユアン「僕が好きなことの一つに……いいリリシスト、いいソングライターには、曲に何度も立ち返らせる力があると思う。聴くたびに新しい意味が見つかるんだ。それによって、アルバムや曲を何度も聴くことに具体的な価値が生まれる。だから時には、曖昧なこと、アーティストが謎めているのはいいことなんだ。いいことだし、そういった特徴によって、曲にフィクションでもあり、本当のことでもあるような何かを語るスペースができる。聴く人がその人なりの解釈を加えられるんだ。うん、君が言ったような特徴は、単に僕が好きなソングライターや作家から来てるんじゃないかな。シェーン・マクガヴァンとか、あとケヴィン・バリーっていう作家がいて。彼はコーク出身なんだ。いや、コークじゃなくてリムリック出身。でもコークに住んだことがあって、彼の書くものはコークが舞台だったり、コークの記述がよく出てくる。まるでページの上で登場人物が生きてるような文章で、いろんな意味で、『マスカレード』は自分でも可能なかぎり、それをやろうとしてるだけだったりもするんだ」


●感情的なグラデーションを描くには、和音とメロディも重要だけど、リズム、ビートもすごく重要だと思います。あなたたちの場合、最初にリリースされた曲“ローズランド”の時代から、8ビートではなく、3を刻むビートがすごく多い。例えば、“アイ・ライク・ユー”みたいにハチロク(6/8拍)のリズムだったり、“セント・アグネス”みたいにワルツだったり。これは何に起因するんだろう?

ユアン「僕、好きなんだよね。特にワルツって……僕ら『ジャンキー』って言うんだけど、ボロくて歪んでて、奇妙な感じを加えられるというか。みんなどう反応していいかわからないんだ。四つ打ちだったら誰でも踊れるし、どう動けばいいかわかる。合わせるのが簡単だよね。でも3を刻むとそこがクールなんだ。別に、変すぎて扱いにくいリズムじゃない。それにバラッドとか、アイルランド音楽からすると6/8拍子ってリアルなんだ。うまく説明できないけど、踊れるビートなんだよ」

フィン「酔っ払ったようなところもある。なんかふらふらしながら進むんだよね。ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリーって。で、すっ転ぶ」

ユアン「僕たちがアルバムで気に入ってるところが、“アンヘドニア”の中にあって。あの曲はドラムのシャッフル・ビートで始まる。でも途中でつまづいて、6/8拍子になって、完全に次のセクションに倒れ込むんだ。まるで背の高い人がすっ転んで、顔で着地するような感じ。そういうやり方、テクニックを通じて、いろんなエモーションを引き起こすことができる。酔っ払ったような、ふらふらした感じで。そういうのは楽器としてのアコーディオンをすごく引き立てると思う」

フィン「うん」

ユアン「アコーディオンはそういう拍子やメロディと合うんだ。伝統的な音楽のジグやスリップ・ジグみたいなものだから」

オスカー「ワルツもね」

フィン「あと、エリオット・スミスの影響もある。彼からはみんな影響を受けてるし、エリオット・スミスって6/8拍子やワルツの曲が多いよね。特にこの3人は彼の音楽をよく聴くんだ。いや、全員エリオット・スミスの大ファンって言えるな。だからその要素も大きい」


●じゃあ、いくつかアーティストの名前も出たので、あなたたちの音楽的アイディンティティ、輪郭をもっとクリアにするために二択ゲーム的な質問をさせて下さい。二組のアーティスト/作家の名前を挙げるので、そのどちらかにより惹かれるか、そして、その理由も教えてください。

ユアン「オッケー」


●最初はアイルランドの先達とも言える二組、フォンテーンズD.C.とザ・マーダー・キャピタル。

ユアン「たぶん、フォンテーンズD.C.」

オスカー「フォンテーンズD.C.」


●理由は?

フィン「わからない。僕は両方好き」

ユアン「僕も両方好き。たぶん聴き込んだのは両方のファースト・アルバムだな。(マーダー・キャピタルの)『ホエン・アイ・ハヴ・フィアーズ』と、(フォンテーンズD.C.の)『ドグレル』。出た時によく聴いたのはたぶん『ドグレル』のほうだし、あのレコードには特別な懐かしさがある」

オスカー「僕らが17歳の時のサウンドトラックとも言えるよね」

ユアン「マーダー・キャピタルのアルバムのほうがダークで、当時はちょっとピンとこなかった。いや、これは僕の話だな。あんまりピンとこなくて、わからなきゃいけないとも感じなかったんだけど、あれはグレイトなアルバムだよ。でも17歳だと、騒いだり楽しんだりって感じだから、『ドグレル』の曲のほうが意味が通じたんだ。もっと楽しいから」

フィン「『ドグレル』が出た時は、こんなの聴いたことがないと思った。まだ若くて感じやすい頃に、自分たちと同じような口調の男が歌ってて。ダブリン出身の男が自分たちが好きな音楽をやってたんだ。ニルヴァーナとか、オルタナティヴみたいな曲を」

ユアン「ジョイ・ディヴィジョンにも似てた」

フィン「ジョイ・ディヴィジョンやスミスみたいな。でも歌ってるのはアイリッシュの男で、歌詞もすごくアイルランド的で。当時はクレイジーだと思った。で、その少し後に僕はマーダー・キャピタルにハマったんだ。あのアルバムも大好きだった。最近、何ヶ月か前に聴き直したんだよ、マーダー・キャピタルの1stアルバムって。すごいし、『ドグレル』とは全然違う。同じ年に出たんだよな、あの2枚」

オスカー「確かそう」

フィン「でも、それからまったく違う道を辿った。どっちもすごいバンドだけど、フォンテーンズD.C.の躍進は目覚ましいばかりでさ」

ユアン「マーダー・キャピタルの1stアルバムに入ってる“オン・トゥイステッド・グラウンド”、あの曲はすごいよ。本当にいい」

オスカー「あのアルバムには物語と深みがあると思う。それがわかるようになったのは、もうちょっとあとになってからで」

フィン「ザ・マーダー・キャピタルはダークだったから、当時は少し大人っぽく思えたのかもな」

ユアン「じゃあ、ノスタルジアという意味で、フォンテーンズD.C.にしよう」

フィン「両方いいけどね!」



●(笑)次はアイスエイジとテーム・インパラ。

全員「アイスエイジ(と即答)」


●(笑)やっぱりアイスエイジって、あなたたちにとって重要なバンドなんだね。

フィン「うん、ものすごくね」

ユアン「パンクだよ。重要だし、すごいバンド」

フィン「僕らの『マスカレード』にも大きな影響を与えてる。この前のアルバムはたぶん、最大の影響と言っていい」

オスカー「ちょうど途中でリリースされたしね。完璧なタイミングだった」

フィン「僕らが曲を作ってる時に見つけたんだ。特にレコーディングにも影響を与えてる。アイスエイジみたいな音にしたかったんだ」

オスカー「僕らのプロデューサーの好きなバンドもアイスエイジで、そこがつながるポイントとして大きかった。その共通基盤があるのがよかった」


●逆に、テーム・インパラと自分たちの接点はあると思いますか。

フィン「テーム・インパラはあんまり好きじゃないんじゃないかな」

ユアン「うん。いい曲はあるけどね。アイスエイジのほうが好き」


エリオット・スミスはダブル・ヴォーカルにしたり、ハーモニーを重ねるから、ヴォーカルがすごく耳に近い。だから、まるでずっと誰かがそばにいてくれるような感じで、落ち着くんだ


●なるほど。じゃあ、どちらもコリン・グリーンウッドがベーシストとして参加してる2バンド――ニック・ケイヴとレディオヘッド。

フィン「おお」

ユアン「僕はニック・ケイヴだけど、この二人はレディオヘッドじゃないかな」

オスカー「僕はレディオヘッドだと思う」

フィン「たぶんレディオヘッド。でもニック・ケイヴも大好きだし。『マーダー・バラッズ』はファンタスティックだよね。シェーン・マクガヴァンともよくつるんでたし。そこはすごくクールだ」


●ニック・ケイヴって執拗なくらい、神と愛と暴力、死について歌いつづけるじゃない? 社会的なことは歌わない。彼みたいなスタンスはどう思いますか。

ユアン「すばらしいね。『マスカレード』の曲から、『マーダー・バラッズ』みたいなアルバムからの直接的なアイデアを見つけることもできる。だってそこから取ってきたんだから。あのレコード大好きなんだ」

フィン「アートワークさえ、かなり似てる」

オスカー「日本に来る前、僕ソウルで『マーダー・バラッズ』のレコード買ったんだ」

フィン「次は?」


●ルー・リードとレナード・コーエン。

ユアン「僕はルー・リード」

フィン「どうかな……だったら、レナード・コーエン」

ユアン「両方すごいけどね。すばらしい」

フィン「最高の才能」


●僕らの世代はニック・ケイヴのことを、ポストパンク世代のレナード・コーエンだと思ってたんだよね。

ユアン「それ、わかるな」

フィン「レナード・コーエンの歌詞の一部は、僕がこれまで聴いたなかで最高の歌詞だし。本物の詩人だね」


●じゃあ、エリオット・スミスとブライト・アイズ。

ユアン&オスカー「エリオット・スミス」

フィン「うん。でもブライト・アイズもクール。僕ら、最近ブライト・アイズを聴きはじめたところなんだ」

ユアン「時々、僕らの音楽を聴いて、ブライト・アイズみたいに聞こえるって言われることがあるんだよね。でも僕らにとっては、エリオット・スミス以上の存在はいない」

フィン「ああ。エリオット・スミスがいなかったらこのバンドは存在しないと思う」

オスカー「彼の音楽って、聴くだけでものすごく気持ちが安らぐし」

ユアン「『フィギュア8』」

オスカー「何を聴いていいかわからない時、エリオット・スミスにすれば、それだけでもうハッピーだし」

フィン「それだけで悲しいし」

オスカー「悲しいけど、安らぐんだ」


●エリオット・スミスにしろ、ブライト・アイズのコナー・オーバーストにしろ、二人ともインタビューするにはすごく難しい相手だったけど、特にエリオット・スミスは本当に特別だった。

フィン「当然そうだろうな」


●本当に親密な距離で話してくれるから、すごく特別な時間になる。一度なんでか知らないけど、彼にインタビューはホテルの廊下でやりたいって言われて、二人で廊下の床に座ってやったことがある。でも今の時代、エリオット・スミスの音楽、その繊細さはどんな意味を持っていると思いますか。

ユアン「エリオット・スミスのサウンド・プロダクションには……彼っていつもダブル・ヴォーカルにしたり、ハーモニーを重ねるから、ヴォーカルがすごく耳に近いんだよね、聴いてると。だからある人が自分の人生や自分の問題について歌ってるんだけど、すぐ耳のそばで聞こえて、まるで誰かが横に座って自分に語りかけてるみたいに思える。パーティとかバーの片隅で。個人的にはそこがすごく好きなんだ。大きな慰めを感じる。まるで彼が一緒にいてくれるような。うん、若い世代を代表して話せないけど、それって安らぐというか、心強いというか。まるでずっと誰かがそばにいてくれるような感じで、落ち着くんだ」


●じゃあ、次はデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズと、ザ・ポーグス。

ユアン「ポーグス」

フィン「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズって?」

ユアン「『カモン、アイリーン????』」

フィン「ああ。じゃ、ポーグス。僕らにとって重要なバンド。昨日カラオケ行ったんだけど、そういう時はいつもポーグスなんだ」


●どの曲歌うの?

フィン「“フィエスタ”と、“ダーティ・オールド・タウン”」


●やっぱりポーグスには文化的なつながりを強く感じる?

ユアン「うん」

フィン「もちろん」

ユアン「さっき言ってた、ワルツの拍子とかもあるし」

フィン「酔っ払ったサウンドもね。つまづいてこけちゃうような。ポーグスとアイスエイジの2バンドは……当然歌詞の内容がすばらしくて、ネクスト・レベルだ。でもどっちのバンドでもミュージシャンシップに本物のエッジがあるんだ。魅力的なのは、ものすごく優れたミュージシャンじゃないところ。それでも彼らにしかない音楽性、本当に美しいものがある。その美しさは、一つには訓練されたミュージシャンじゃないところから生まれてるんだ。人間的というか。そこがその2バンドの大きな魅力だと僕は思うし、僕らが『マスカレード』でとらえたかったところでもある」


●じゃあ、次の三つは全部フォークなんだけど。最初はニック・ドレイクとジェフ・バックリー。

ユアン「たぶん、ニック・ドレイク」


●ティム・バックリーとジェフ・バックリー。

フィン「おおー」

ユアン「ジェフ」

フィン「うん、たぶんジェフ」

オスカー「誰?」

ユアン「ティム・バックリーはジェフ・バックリーのお父さん」

オスカー「オッケー、ごめん」

ユアン「でもティム・バックリーにもすばらしい曲がある」


●ペンタングルとフェアポート・コンベンション。

フィン「たぶんフェアポート・コンベンション」

ユアン「僕はどっちもあんまり聴かない」



音楽を伝承するというフォークの伝統は、歌や物語を書き留めることをかつてイングランドに禁じられたことに由来している。だからアイルランドには口承文化が根づいたんだよ。


●僕みたいな年齢からすると、60年代英国にはデイヴィー・グレアムとかバート・ヤンシュみたいな人がいて、同じ時代にアメリカではフォーク・リバイバルでボブ・ディランやジョーン・バエズが大きくなって。その後、英国ではペンタングルやフェアポート・コンベンションみたいなフォーク出自の人たちがロック・バンドを始めた、っていう米国のフォーク・リバイバル以降の流れを学びながら、彼らの音楽を聴いてきたとことがある。ただ、そのあたりの英国のフォーク音楽とはあんまりコネクションはないんだね?

ユアン「ないかな。でももちろん歌詞を書いてたら、誰だってボブ・ディランを意識せずにはいられない。そこからは逃げられないと思う。僕らみんな、ボブ・ディランは好きだよ。ディランはすごい。ものすごく重要なアーティストだ。でも曲を書いてる時、僕らの頭の中ではたぶん、アイルランドの伝統のほうが大きなスペースを占めてると思う」

フィン「アイルランドのフォークの伝統は、イングランドやアメリカのフォークとはかなり違うんだ。その二つは比べられるだろう? たとえばイングランドにはドノヴァンがいて、アメリカにはディランがいる。60年代のアイリッシュ・フォークにはプランクシティっていうグループがいてね。でもまた音楽のスタイルが違っていて、そういう人たちほうが僕らの頭の中のスペースを占めてるんだ。アイリッシュ・フォーク・ムーブメントなんだけど」


●なるほど、なるほど。じゃあ、もし誰かがあなた達に対して「フォークとポストパンクを融合したレナード・コーエン」というタグ付けをしたとしたら、どう反応しますか?

ユアン「いいね。ポジティブな反応をする」

フィン「うん。ね、フォーク・ミュージックとは何だと思う?」


●そう、それも訊きたかった。僕は僕なりにフォーク・ミュージックの定義があるんだけど、みんなはある?

フィン「僕はない。自分たちをフォーク・ミュージックとは定義しないし。フォークの影響はあるけど」

ユアン「たぶん……フォーク・ミュージックを作るというのは、フォークの伝統に連なることだと思う。それは、アイルランドでは一つのことを意味する。フォーク・ソングを演奏することだね。僕らはそれをしない」

フィン「伝承するということ。アイルランドには口承で音楽を伝えていく、という大きな伝統がある。メロディや歌詞のある歌をね。それは今でも強く残っていて。誰かが書いた曲、それが誰かももう忘れられている歌を歌っているグループがたくさんいるんだ。昔から受け継がれてる歌を。僕らはその伝統の一部ではない。当然、リスペクトはしてるけど」

ユアン「その意味で、僕らをフォークと呼ぶのはたぶん正しくない。でももちろん、フォークの影響は受けてる。そういう歌を愛してるし、インスパイアされるし、僕らにとって重要だしね。だからちゃんと言うなら、フォークの影響とポストパンクを融合したレナード・コーエン、だね。それで解決」

フィン「いいね(笑)」


●(笑)じゃあ、やっぱり自分たちの音楽は自分たちが育った環境や歴史につながっているという感覚はありますか? というのも、日本の我々というのは第二次大戦後、敗戦と征服によって、かつての伝統と明らかに分断されている。で、西洋化されて育ってきたところがあるから、そのあたりのことを訊いてみたくて。

ユアン「僕らはつながってると思う。アイルランドの歴史においては、アイルランドの伝統的な文化が抑圧され、禁じられてきた。だから今でもそれに再び活力を与えたい、甦らせたいという切実な思いがあるんだ。これからもそれは続くだろうね。誰も自分の文化を剥奪されたくはないから。自分がそうできる時には、その努力の一部でありたいと強く思うものなんだ」

フィン「君が言ったような日本のジオソーシャルな状況(*土地と社会の結びつき)はすごく興味深いね。すごくユニークだけど、アイルランドにも似てる部分はあると思う。当然、違う部分も。さっき話した、音楽を伝承するというフォークの伝統は、アイリッシュ・フォークにおいてはすごく重要なんだ。そこがアメリカのフォークやイングランドのフォークとは違う。それは、それも元々、歌や物語を書き留めることをかつてイングランドに禁じられたことに由来している。楽器も禁止されて、ヴァイオリンやアコーディオンみたいなアイルランドの楽器を演奏したら、没収されたんだ。だからみんな曲をそらで覚えなきゃいけなかったし、歌を口ずさんだり、物語を口で語ったりして伝えていくしかなかった。だからアイルランドには口承文化が根づいたんだよ。その伝統は今もあって、特にアイルランド語や音楽において、アイルランド文化が大きく復活してきてる」

ユアン「このあいだ京都に行ったんだ。で、フィンとフィンの友だちが京都のアイリッシュ・バーに行ったんだけど、そこで日本人のバンジョー奏者と知り合って。その人、バンジョーの日本チャンピオンだったんだっけ?」

フィン「うん。彼はバンジョーでアイルランド音楽を演奏してた。バンジョーの日本チャンピオンの人で。で、僕はアコーディオン、友だちは口笛で参加した。友だちもアイルランド人なんだけど、日本のバンジョー奏者と何時間も一緒にバーで演奏したんだ。最高だった」


●なるほど。ただ、僕らの場合は伝統につながろうとすると、どこかセルフ・オリエンタリズムみたいなことになる。特に表現者が何かをやると、パフォーマティヴというか、とってつけたような日本のものになってしまうんだよね。

ユアン「アイルランドでも同じようなことがあるよ」

フィン「アイルランドのフォーク・ミュージックももちろん、大きく変わったし」

ユアン「ひどいものもある。ものすごく商業的だったりすることもあるし」

フィン「本当にパフォーマティヴな、ひどいアイリッシュ・ミュージックもあるから。いろんな地方で。もちろん、すごくいいものもあるけど。僕が思うに、パフォーマティヴだと正統性、オーセンシティを失うんだ。で、オーセンティックじゃなきゃ、すべての意味がなくなる。うん、アイルランドにもそれはある」

オスカー「今ってアイルランドが注目されてるからね。特にアイルランド音楽。だから、大勢の人がやってる。需要があるから。つまり、今、目にするフォーク・ミュージックの多くが完全に商業的なんだ」


●なるほどね。ただ、お互いにそうだと思うんだけど、外側から見ると、その区別があんまりつかないんだよね。

フィン「外側から見るとね。確かに難しい」

ユアン「たとえば60年代、70年代に日本のフォーク音楽ってどうだったの? 日本にそういうソングライターはいた?」


●日本の伝統音楽ってことで言えば、すぐには思いつかない。ディランみたいな海外のフォーク・リバイバル/ムーブメントに影響を受けたソングライターや作品ではいいものがたくさんあったけど。日本の正統的なフォークロアは、各地方の民謡くらいじゃないかな? それ以外では、日本で伝統音楽と呼ばれているものの大半は、雅楽みたいに為政者のために作られたものだから、そのためには残されるんだけど。歌舞伎とかと同じで。

フィン「戦後の日本では、自分たちの文化を恥じるようなところはあったの?」


●あったと思う。無意識のレベルでね。たとえば食文化。アメリカやヨーロッパから入ってきたものは美味しそうに見えるけど、ごはんとお味噌汁りはカレーライスとかスパゲッティに惹かれてた、特に子どもはね。でもティーンエイジャーになって、大学とかに行くようになると、そういうものを「文化」と思わされてたことにみんな気づきはじめる。それで日本的なアイデンティティを改めて模索しようとするんだけど、そこで本当に分断されていることにショックを受けるんじゃないかな。

フィン「面白い」

オスカー「日本ではクリスマスイブにKFCを食べるって、ほんと?」


●ほんと(笑)。

オスカー「それもすごく西洋的だよね。どっかで聞いたから、訊いてみたくて」


●世界中でクリスマスが一番賑やかで、商業的なのは日本だろうね。

オスカー「うんうん。外行ってもセブンイレブンとかあるもんね。アメリカのチェーン。明らかに西洋化されてる」

フィン「僕ら好きなのはファミリーマートだけど」

オスカー「京都のある部分は、昔の日本みたいな感じもしたけど」


●まあ、観光っぽかったりもするけどね。

オスカー「もちろん。僕もどこまでオーセンティックなんだろう、って思ってた。でもお寺とかはすごく昔に建てられてるし」


●コンビニエンスストアについて話しはじめたら、俺、3時間くらい止まらなくなると思うよ。

オスカー「じゃあやめとこう(笑)」

厳密に言えば、北アイルランドがあって、南にアイルランド共和国がある。でも僕らにとっては一つなんだよ。地理的にもそうだけど、僕らの政治的信念では、英国による北部の占領は認めていない。


●日本のミュージシャンと話す時に、最初のフッドと二番目のフッド、みたいな話をよくするんです。「それぞれが何かしらあなたのアイデンティティを規定してるんじゃないの?」ってことで。あなたたちの場合も、キンセールとコーク・シティの二つに街はそんな関係にあるのかな?

ユアン「そうだと思う。まあ、一応僕らキンセール出身って言ってるんだけど、実際は誰も……」

オスカー「僕はキンセール出身だよ」

ユアン「僕らはキンセールの外の田舎。僕らが町で育ったような、間違った印象を与えちゃうんだけど。育ったのはもっと田舎だから」

フィン「キンセールの隣、車で10分くらいのところ」

オスカー「僕が住んでたのは町中だけどね」

ユアン「学校はキンセールに通ってて、そこでオスカーと知り合ったんだ。うん、キンセールは海辺の町で、かなり観光っぽい町だけど、静かで落ち着いたところ。僕は今でもまだ、僕とフィンが育った田舎がすごく、すごく好きなんだ。海のすぐそばで、曲を作るのにはすごくいい場所。でもコークに引っ越すのは、僕たちにとって大きな転機だった。そんなに遠くないんだけど、それでも大きな変化だったし、すごくクールだったしね。コークに移った最初の数年間はエキサイティングだったんだ。音楽がたくさんあって、ギグにたくさん行って」

オスカー「田舎だと原っぱくらいだからね。パブが一軒、店が一軒とか。あとは動物だらけで」

ユアン「だから、一気に変わった」

オスカー「街の環境にね」

フィン「コークは大都会じゃないけど、アイルランドでは二番目に大きい街なんだ。コークより大きいのはダブリンだけ。僕はゴールウェイにしばらく住んでたんだけど、あそこはたぶん京都みたいな感じ。観光客が多くて、古くて伝統的な街だから。でも何が伝統的で、何が観光客向けなのか、すぐにはわからない。僕がコークに引っ越した時、他のメンバーはもうコークに住んでたんだけど、ゴールウェイとは違うと思った。ゴールウェイは観光っぽかったけど、コークはオーセンティックな本物の街だったんだ。観光客向けじゃなくて、コークの人々のために作られた街だし、ずっとそうだった。それにコークにはコークの文化があって、それも観光客向けじゃなく、コークの人たちのための文化なんだよ。コークの人たちが愛着と誇りを持っている街。その意味ではニューヨークに似てる気がする。ニューヨークの人って、ニューヨークが世界一だって言うよね? コークでは、コークが世界一だって言うから。その意味で似てる。でも、僕らが育った場所とは全然違ってた。半島にあって、海辺の田舎で、すごく静かな場所だったから。ただバンドにとっては街に移って、街に住むのが重要だったと思う。ギグとかスタジオでの練習とか、実際的な理由もあったし……」

オスカー「他のバンドとも知り合ったし」

フィン「街で暮らすこと、その文化が重要だった。いろんなものを見て、学んで。住んでる街にはすごく影響される。人って、自分がいる環境や空間に大きく影響されるからね。コークという街はその意味で僕らにとって重要な役割を果たしたし、今でもそう」


●もし間違ってたら申し訳ないんだけど、コークってアイルランドの中ではプロテスタント的な価値観がある街だって聞いたことがあるんですが、実際そうですか。

オスカー「違うと思うよ」

ユアン「ノー」

オスカー「大聖堂があって、それはプロテスタントだけど」

フィン「ベルファストとかだったらプロテスタントだけど、コークはとてもカトリック的な街だ」

オスカー「ほとんどはね」

フィン「コークにもプロテスタントの人たちはいるけど。コークの金持ちはプロテスタントだけど、カトリックの人たちのほうが多い。ずっとね」

オスカー「私立学校のほとんどはプロテスタントかもしれない。インフラストラクチャーにはプロテスタントのものが多いね」

フィン「オールド・マネー、何世代にも遡る昔ながらの富裕層はプロテスタントなんだ。イングランドの影響があるから」


●なるほど。日本人の感覚だと、ごく一般的には北アイルランドはある時期から英国に属していてると教えられてきた――その経緯が侵略であることも含めてね。でもあなたたちの中では北アイルランドもアイルランドも一つなんだね。デリケートな話で申し訳ないんだけど。

ユアン「うん」

フィン「厳密に言えば、北アイルランドがあって、それは一つの国。で、南にアイルランド共和国がある。でも僕らにとっては一つなんだよ。アイルランドという島があって、それはアイルランドなんだ。地理的にもそうだけど、僕らの政治的信念では、英国による北部の占領は認めていない。だからみんなただアイルランドとして見ている。北アイルランドになってるのは、植民地にされたから。で、その間に多くの戦争と内戦があって……」

オスカー「むしろアイルランド全体が植民地化されたんだよな」

フィン「そうだ」

オスカー「で、南部は解放されたんだ」

フィン「多くの内戦と暴力、爆弾、流血によってね。でも普通の人たちは……南ではほとんどの人たちが、ただアイルランドとして考えてると思う。今はすごく平和だし。僕らはベルファストでも、デリーでもよくライヴやるけど、別に騒ぎなんてない。プロテスタントの人たちもカトリックの人たちも僕らのライヴに来るしね。戦争は完全に終わって、平和なんだ。問題はない」


●30年くらい前に、当時まだティーンエイジャーだったアッシュ、ベルファスト出身のバンドのアッシュの3人に、「君たちはなんで宇宙とか星の歌ばっかり歌うの?」って冗談混じりに訊いた時に、彼らが「自分たちの子ども時代にはIRAやテロもあったから、これは現実を見ないアティテュードなんだ」って答えてくれて。それをすごく重く聞いた経験があるんだけど。

ユアン「興味深いね」

フィン「アイルランドで激しい紛争が起きていた間に、日本のフォトグラファーでアイルランドに来た人がいて(*おそらくは岡村昭彦)。で、当時のもっともすごい写真を撮ったのが彼だったんだ。フィルムのカメラでね。暴動や争いを撮影するためにアイルランドに来た人は当時大勢いたんだけど、一番いい写真を撮ったのはその日本人写真家だった。それはたぶん、彼がすごく離れた立場だったからだと思う。文化的にも地理的にもすごく距離があったから、彼は現場にいても、どっちがどっち側なのかわからなかったのかもしれない。欧米の人間だったらすぐわかっても。でもその人が、僕がこれまで見たなかでも最高の写真を撮ったんだ。すごく興味深いと思う」


●欧米のフォトグラファーだったら、最初から白と黒の二つに分けてしまって撮るから?

フィン「その通り。でも彼には線引きがなかったからこそ、いい写真になったんだ」


●すごく示唆的な話だね、じゃあ、最後の質問です。今回のアルバム、『マスカレード』を自分のレコード棚に入れるとすると、その隣の2枚はどのレコードになりますか。

フィン「いい質問だね」

ユアン「どういう意味で? 一番似てるレコード? それとも一番影響を与えたアルバムとか?」


●自分に通じる意味があれば、なんでも。三つのレコードが素敵なトライアングルになれば。

フィン「ローテーションでかける3枚とかかな」

ユアン「僕がヴァイナル盤で聴く、一番のアルバムの1枚がビーチ・ボーイズの『ペット・サウンド』なんだ。それは、レコードで聴くと深みがわかるから。アレンジがすごく複雑でディープなんだよ。だからいつもヴァイナルで聴くようにしてる。それと最近手に入れたのが、ゴスメタル・バンドのタイプ・O・ネガティヴの『ブラディ・キスィズ』なんだ。あれもヴァイナルで聴くのが楽しい。だから僕が選ぶのは、その2枚」

オスカー「僕はやっぱり、(アイスエイジの)『プロウイング・イントゥ・ザ・フィールド・オブ・ラブ』。このアルバムを書くのに大きな役割を果たしたから。ファンタスティックなアルバムで、聴くのが楽しいしね。で、もう1枚はエリオット・スミスの『フィギュア8』。彼のもっともポップな作品だと思う」

ユアン「あれもヴァイナルで聴くとすごくいい」

オスカー「うん、僕もヴァイナルで持ってる。本当に音がいいんだ。アレンジが活きてくるっていうか、目の前で盤が回って。グレイトだよ」

フィン「僕はザ・ポーグスの『ラム・ソドミー&ザ・ラッシュ』。いつだって楽しめるアルバムだし、聴き飽きることがない。だから、僕にはいつだってあのレコードのための場所がある。もう1枚はルーツに立ち返って、ナズの『イルマティック』。その2枚だね」

*この記事は宮下貴裕からの依頼がそもそもの発端だった。「僕が今、他の誰よりも素晴らしいと思っているカーディナルズのインタビュー記事を誰でもない、宗さんに作って欲しい」。筆者の記憶では彼がこんな風にひと組の作家に夢中になっているのは、おそらく2010年代後半のXXXテンタシオン以来。信頼する友人が誰よりも触発され、この時代の変革の真っ只中にいることを否応なく自覚させてくれる音楽を奏でる作家との対話を持つ機会を持てたことは何かしらの啓示なのかもしれない。バンドメンバーを筆頭に、改めてこの記事を形にすることに手を貸してくれたすべての人に感謝したい。

 

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